メニューへジャンプ本文へジャンプ
.
トップページへ  >  地図から探す  >  資料詳細

資料詳細

福昌寺跡
拡大
前の画像   次の画像
1 / 6 ) 

資料名:福昌寺跡
フクショウジアト

作者:島津元久 シマヅモトヒサ

分類:文化財-県指定文化財-記念物(史跡)
地域:鹿児島市池之上町
所管:島津修久
キーワード:常安峰 玉龍山 島津氏 曹洞宗 石屋真梁 円了無参和尚 キリスト教 県指定文化財 記念物 西郷どん関係

解説:
 福昌寺は応永元年(1394)に島津家7代当主元久が石屋真梁(せきおくしんりょう)を開山として建てた島津家の菩提寺(ぼだいじ)であり,山号は玉龍山で宗派は曹洞宗(そうとうしゅう)である。
 墓地には6代当主師久(もろひさ)から,28代当主斉彬までの墓がある。
 福昌寺は薩隅日三州の僧録寺で,諸国に多くの末寺をもち,薩摩藩の学問所としての重要な役割を果たしていたこともあり,僧侶も多いときには1500人を数えたといわれる。
 代々島津家の尊崇(そんすう)が厚く,寺領1350石で,藩内一の大寺院であった。
 天文15年(1546)忍室文勝の時には,後奈良天皇の勅願寺となり,同18年(1549)にキリスト教を伝えたザビエルが鹿児島滞在中忍室文勝と宗教上の問答を行ったところでもある。
 住職の中には若い時の西郷隆盛や大久保利通を指導した円了無参もいた。
 これら住職の墓は,墓地の北側の一段高いところにある。
 福昌寺は明治2年(1869)に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で廃寺となって,島津家歴代の墓地だけが残っていたが,寺跡には昭和26年(1951)に鹿児島玉龍高等学校が建てられた。
 昭和28年(1953),鹿児島県の記念物(史跡)に指定された。
 なお裏山の常安峰(とこやすみね)にも島津家の墓があり,ここには薩摩藩の最後の藩主となった忠義(ただよし)とその夫人,長男忠重(ただしげ)らが静かに眠っている。
(鹿児島市史跡めぐりガイドブック五訂版 90ページ)

トップページへ  >  地図から探す  >  資料詳細